入江昭

もちろん主権国家は依然として存在している。しかし、国家という単位で世界を理解できると思うのは、現代と過去とを混同するものである。すでに述べたように、現代の世界では国家そのものの性格が変わり、国家以外の人間集団、そしてネットワークが影響力を増しているからである。 国内国外の市民社会の成長と相互のつながり、そして全人類的な問題への関心の高まりを見れば、従来のように「国益」のからみあいを軸として国際関係を考えるのは時代遅れであることがわかろう。 たとえば、日米関係は日本外交の基調だとされるが、現代の世界にあっては、二国関係というものはしだいに意味を失っていることを想起すべきである。日本にとって米国が重要なのはパワーの関係、すなわち日本が米国の「核の傘」の下にあるからだとか、強大国化する中国に対し両国がバランスを維持する必要があるからだといった、旧態依然とした方程式は過去の見方を現代にあてはめようとするものである。そのような見方にもとづく「積極的平和主義」なるものも、もとより時代遅れの発想に過ぎない。 。。。 そのように旧態依然とした考えにとりつかれている原因の一つは、やはり旧来の考えを変えないほうが、新しい考えを取り入れるより楽だ、という態度であろう。 。。。 知的怠慢とも名付けうるこうした現象が、まだ各国で見られるのは嘆かわしいかぎりである。